新しい挑戦への寄り道として就活を選んだ先には何も無い

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社会人として働き始めた頃、学生を卒業したての私は膨大な選択肢とその不確定の未来への可能性に自惚れ、挑戦無き日々を”流されて”生きてしまいました。

 

自分は他の人間と違うんだ、迎合しないんだと誓った意思はいつの間にか薄れ、気づけば代替可能な社会の1パーツ、所謂One of Themに成り下がってしまっていたのです。

 

社会人になるにあたって、特に将来自分の夢を叶えるための寄り道や一旦の身寄席としての就職を選んだ人には特に伝えたい話です。自戒を込めて赤裸々に綴るので、ご興味があればそのままスクロールして頂ければ幸いです。

 

希望に満ちた新社会人生活

newsociety

新社会人初日。

真新しい皺のないスーツと、ピカピカの卸したての革靴を身に纏って通勤していると、不思議と”何か得体の知れない自信”を纏ったような心持がします。

 

「いよいよ今日から働くぞ」

「会社に何らかの形で貢献する!」

「同期で一番になってやる」

 

そんな気概を持って、一歩一歩大地を踏みしめ、自信に溢れた足取りで会社に向かいます。

 

そんな朝の通勤時には何百、何千ものサラリーマンを目にします。

そして辺りを舐めるように見渡すとスーツが皺くちゃで、革靴も傷だらけで踵のソールも擦り減っているサラリーマンが目につきます。

 

「なんでこの人はもっとしっかりしないんだ?」

「俺はこんなだらしない生活はしない」

「規律正しく生活して、お金を稼ぐんだ」

 

“不思議な自信”を纏った私は未分不相応にもそんなことを思ったわけです。

自分は決して社会の歯車になんかなったりしない、と。

 

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そして意気込みだけがだんだん募り、新人研修をこなすためだけに会社に通います。

実際のところ新人研修の間は私たちはまだ”お客様”です。新人研修はお客様気分で参加するので、面倒な仕事や不条理などに直面する場面は一切ありません。

本当の実務をこなすわけでもなく、ひたすらに座学やロープレといった”実務の練習”を淡々とこなすだけでお金がもらえます。

なんの責任もないこの練習を上手くこなすと”上司”から褒められ、さも学校にいるかのように研修のスコアを競うのです。

これは非常に心地よいことです。

 

仕事内容が何であれ、”上司”は入ってきた新人が会社に忠誠を尽くしてくれる人材に育つことを狙って徹底的に新人を持ち上げてくれます。

 

こんな感じで最高の環境で日本では何のスキルもない新人がお給料が貰えます。お金とは労働の対価で発生する報酬であるはずですが、日本ではお給料は先払いされるのです。

 

なぜ日本ではこのようなシステムが成り立つのかという、詳しい仕組みは以下記事にて綴っているので参照ください。

 

なぜ日本企業は新規学卒者を採用するのか考察してみた

 

今思えばクレイジーなシステムなのですが、周りは誰もそれを疑うことはしません。

こうして会社に足を運べばお金を貰えるという天国のような状態に慣れていきます。

 

実務開始後の不条理の連続、そして感覚の麻痺

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夢のような研修期間が終わるといよいよ配属先が決定し、実務に入っていきます。

実際に研修を終えると、会社の”現実”と対面することになります。

 

研修期間ではあんなに明るく接してくれた上司や先輩社員の面持ちは決して明るいとはいえず、毎日同じルーティーン作業をひたすらこなすだけの日々を目の当たりにします。

 

会社の崇高な理念を語り、自信の将来のキャリアプランを自信満々に語っていたはずの尊敬できる先輩は会社の仕事を第一優先しプライベートを犠牲にしながらも必死に業務に励んでいました。

 

将来起業をするんだと語る先輩は、期限無く日々の作業をこなすのに終われ、辞める時期を逃しズルズルと働き続けた結果、「いつか、いつか」というのが口癖になっていました。

 

私はそんな光景を目の当たりにして、「自分は決してこんな風にはならないぞ」と当時は思ったのを覚えています。

 

そして、ついに真の新人教育も始まります。

優しさに溢れていた尊敬できる上司は、一人のサラリーマンとしてお上からの通達に従い己の意思なく数値目標を追い、新人をアメとムチを使い分けとにかくいうことを聞く”使える奴”に仕立て上げようとします。

 

「お前はそもそも基本がなっていない」

「やり直せ」

「自分の頭で考えろ」

「お前なんて何の成果も残せない」

 

所謂「鬼詰め」という高圧的なマネジメントを介して新人を懐柔しようと試みるのです。

研修時代に散々持ち上げておいて、実務に入ると散々言われるわけですから、新卒の皆は「自分はダメなんだ、もっと頑張らなきゃ」とだんだん自身を責めるようになります。

 

「自分が悪いんだ」

「とにかく怒られないように言われたことをやろう」

「先輩と同じように振る舞えば怒られない」

 

そんな思考に陥ります。

自分の意思で物事を決定し、行動するという機会が激減していくのです。

 

ある日、とある往訪先。
本日は新商品の提案でもなければ、定例会でもありません。

「謝罪」のための往訪です。
仕事でミスがあったために、相手先に謝罪に行きます。

会社では誰かのミスは皆のミス、という精神があります。

 

社内にはパワーバランスというものがあります。

部署間によって力関係が異なっており、そのバランスを維持するために誰かが自分のミスで無くとも謝罪に行く必要があります。

 

その日私は社内の”誰かのミス”を謝罪するために、取引先を訪れていました。

取引先からすれば、向き合いに私がいるので他でもない”私のミス”に映るのです。

 

私は一体何を守っているんだろう、何で取引先に謝意を示しているのだろう。

そんな複雑な感情を抱きながら謝罪をします。

 

帰り道に上司に放たれた一言は今でも忘れられません。

 

「社会人、特に営業はそういうものだから。仕方ない。」

 

仕方ない。

仕方ないか、うん。

 

責任を被って謝罪をしても、

 

何か新しいことを始めようと提案をしても、

 

会社の役に立つことをしても、

 

取引先に対して丁寧なケアを行っても、

 

そして何より自分のやりたいことを犠牲に自身の時間を会社に割いても、

 

給与が上がることもなければ、自身の名前で評価がされることはないのです。

 

それでも、まだ頑張れる。
自分はまだやれる。

と言い聞かせて日々ルーティーンをこなすのです。

 

自分が必要な存在であると証明するために会社に通う。
自分は歯車なんかじゃない、会社にとって必要な存在なんだと終電ギリギリまで身を粉にして働きました。

 

忙しない4ヵ月が過ぎた頃、ふと鏡に自分の姿を認めました。

ジャケットは皺だらけ、革靴の踵のソールはすり減り、ピカピカだった革靴はヨレヨレになっていました。

 

かつてなりたくないと願った姿がそこにはありました。

いつの間にか私も周囲に流されるがまま、自分の意思を持って何かを変えようとする意思無きOne of Themに成り下がっていました。

 

かつて感じた”不思議な自信”とは会社から借りた威厳や、自身の生活の後ろ楯だったわけです。

何ら個人で生きて行く力が備わった訳ではなく、完全に”虎の威を借りた狐”状態に陥っていました。

 

会社に入れば待っているのは、窮屈な不条理や制約です。

しかし、その対価に一定のサラリーと安心感を得られます。

 

一概にサラリーマン生活を否定する訳ではないです。

私は全ての会社で働いた訳ではないので、世の中には本当に素晴らしい会社がたくさんあると思います。

 

ただ、将来やりたいことの寄り道として就職を選んだ者の一意見として参考にしていただければと思います。

 

己の裁量で生きて行く決断

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就職を経験し、悪いことばかりだった訳ではありません。

会社という組織に属してみることで自分の意思決定はより強固なものになり、寄り道などという甘い考えは吹っ飛びました。

2018年からは私は元来より本当にやりたかったことを正直にやり抜きます。

 

やりたいことがあるのなら、目の前のリスクに怯えて逃げるのでは無く、やりたいと思ったその瞬間にやるべきなのだと。

そしてそのリスクをとっても死にはしないんだということを改めて痛感しました。

 

もし、やりたいことがあるのに世間体や制約があって就活を選ぼうと思う人がいるのなら、それは悪手でしかなくて今すぐにやりたいことを実現するために何をすればいいかを考えた方が人生を豊かに過ごすことができると思います。

 

拙筆ですが、この記事が誰かの決断の後押しになれば幸いです。

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